運動と思想の境界線、その先へ

文: 東海林慎太郎、堀内奈穂子(AIT)2ページ
手書き文字: mari (京都・会社員)

本レポートはクラウドソーシングサービスを利用し手書で文字起こししました。担当のmari氏による個人的感想が本文とは別に赤字で記されています。

執筆した人: 東海林慎太郎 (AIT)

MADキュレーションコース(2014)、全英語によるM&Mコース(2015)を経て、2015年よりAITレジデンスプログラムの制作補助に加わり、アーティストの作品制作やリサーチのアシスタントを行う。以後、各年のレジデンスプログラムを中心に、展覧会制作を含むコーディネートを務める。アーティストのトークや交流イベントの企画にも携わる。近年は現代アートのギャラリーにも所属して、多方面からアーティストの創作活動をサポートしている。

執筆した人: 堀内奈穂子 (AIT)

エジンバラ・カレッジ・オブ・アート現代美術論修士課程修了。2008年より、AITにてレジデンス・プログラムや展覧会、シンポジウム、企業プログラムの企画に携わる。ドクメンタ12マガジンズ・プロジェクト「メトロノーム11号 何をなすべきか?東京」(2007)アシスタント・キュレーター、「Home Again」(原美術館、2012)アソシエイト・キュレーターを務める。国際交流基金主催による「Shuffling Space」展(タイ、2015) キュレーター、「Invisible Energy」(ST PAUL St Gallery、ニュージーランド、2015)共同キュレーター。アーカスプロジェクト (2013) 、パラダイスエア(2015、2016)、京都府アーティスト・イン・レジデンス事業「大京都in舞鶴」(2017)のゲストキュレーターを務める。 2016年より、AITの新たなプロジェクトとして、複雑な環境下にある子どもたちとアーティストをつなぐ「dear Me」プロジェクトを開始。アートや福祉の考えを通した講座やワークショップ、シンポジウムを企画する。

手書きした人: mari (京都・会社員 🇯🇵)

  • 今、取り組んでいただいた文章についてどのような感想を持ちましたか?何か「得た」(またはその逆)ものはありますか?

    コメントを入れながら、自分の小さな声にも耳を傾けてもらえているような感覚になりました。

  • 新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって、お仕事が生活の中で何か変化はありましたか?

    幸運にも仕事自体がなくなるようなことはなく、臨機応変に対応しながらも、いつもよりゆっくりとした時間を過ごせていました。

  • パンデミックがきっかけとなって、新しい発見や出会いはありましたか?回答が「はい」の場合、それは何ですか?

    すごく急いでいてギリギリだった仕事の案件が延期になり、一旦ストップできる時間ができたことで、走っていた毎日からゆっくり歩く機会ができました。

  • 身近なコミュニティや広く社会において、自分の意思に反して「押し付けられている(そして従いたくない)」と感じたルールはありますか?回答が「はい」の場合、それは何ですか? いつ頃ですか?

    新卒の就職活動にある独特の「就職するための正しい解答」と、それを器用にクリアできることが良い社会人になることというような流れに乗り切れず、結局一社も採用試験を受けられませんでした。

  • このレジデンスプログラムでは日本とオランダの「家父長制度」についても考えました。あなたの身近なコミュニティや社会では、「家父長制度」がどのように捉えられていますか?

    母子家庭のため私はあまり意識したことはありませんでした。母はきっと「父が強い家族の雰囲気」が苦手だったのでは、と思います。

  • 上記と同じく「フェミニズム」については、どのように捉えられていますか?

    中高と女子校に通ったため、性別による格差を学生時代に感じる機会がほとんどなく過ごしてきました。周囲の学生時代の友人と話しているときと社会人になってからの知人と話しているときの違いから、育つ環境によりこんなに問題意識に温度差ができるのかと気づき、自分の中で問題意識を持つ感性を育てておきたいと感じています。

  • 「家(ホーム)」とは、あなたにとってどんな意味を持っていますか?血縁関係がない誰かを、それでも「家族」と呼べると思いますか?

    家(ホーム)とは、安心できて尊重できる関係性のことだと思います。血縁があっても安心しきれないホームもあるので、血縁は関係なく家族と呼べるホームを築いていきたいです。

  • どんな場合や場所でも構いません。「ケア(気遣うこと、手を差し伸べること)」と聞いて、何を思い浮かべますか?何か共有したい経験があればお聞かせください。

    障害児支援施設でずっと働いてきましたが、彼らと過ごす時間には「私がケアされている」と感じることが多々ありました。分け隔てなく、こちらを評価したりせずに関わろうとしてくれ る姿勢に、違う者同士が共に生きるために手を差し伸べられているような感覚を覚えました。