集団的な限界としてのパンデミック?
文: オルガ・ミンク・2ページ
手書き文字: まさとも (東京・アート関係者、プロジェクトスタッフ)
執筆した人: オルガ・ミンク
オルガ・ミンクはバルタン・ラボラトリーズのディレクターを務めた後、現在はフューチャー・オブ・ワーク・ファンデーションのアーティスティック・ディレクターであり、アヴァンス応用科学大学でサステナブルビジネス専門センターで研究員として働いている。
フューチャー・オブ・ワーク・ファンデーションは、芸術におけるリサーチと協働的アクションのためのハイブリッドなプラットフォームであり、現在の経済システムをイデオロギー的かつ日常的な視点から問い直すことを目的としている。仕事と経済をめぐる新しい形のコラボレーションをもたらし、健全な生態系と公正な社会への要求に対して、私たちのニーズが副次的になったとき、経済がどのように見えるかについての対話を刺激するビジョン、物語、実践を提案する。アートと学際的な実践を世界中のコミュニティと結びつける上で、新しい経済と社会的イノベーションが重要な役割を果たすいくつかのイニシアチブを共同で立ち上げた。プログラムには、エコノミストが登場しない経済フェスティバル「エコノミア」や、NGOヒヴォスとの4年間のグローバル交流プログラム「エイジ・オブ・ワンダーランド」などがある。
手書きした人: まさとも (東京・アート関係者、プロジェクトスタッフ 🇯🇵)
今、取り組んでいただいた文章についてどのような感想を持ちましたか?何か「得た」(またはその逆)ものはありますか?
コロナ禍の話をするとき、人々は絶望よりも希望の言葉を残したくなると感じました。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって、お仕事が生活の中で何か変化はありましたか?
時間の使い方に変化がありました。
パンデミックがきっかけとなって、新しい発見や出会いはありましたか?回答が「はい」の場合、それは何ですか?
自分への発見。同調的な振る舞いへの違和感が減っていること。
身近なコミュニティや広く社会において、自分の意思に反して「押し付けられている(そして従いたくない)」と感じたルールはありますか?回答が「はい」の場合、それは何ですか?いつ頃ですか?
山ほどある気がしましたが、よく考えると、あまりないかもしれません。
このレジデンスプログラムでは日本とオランダの「家父長制度」についても考えました。あなたの身近なコミュニティや社会では、「家父長制度」がどのように捉えられていますか?
私が育った環境は、父をたてながらも、「男だから」「女だから」という考え方を嫌い、女性の自立を促す方針でしたので、家父長制度の考え方について、あまり注意を払ってきませんでした。
上記と同じく「フェミニズム」については、どのように捉えられていますか?
フェミニズムに限らず、社会的な制度や構造によって、誰もが本来であれば保証されている権利をもつことができないのは改善すべきと思います。
「家(ホーム)」とは、あなたにとってどんな意味を持っていますか?血縁関係がない誰かを、それでも「家族」と呼べると思いますか?
呼べると思います。
どんな場合や場所でも構いません。「ケア(気遣うこと、手を差し伸べること)」と聞いて、何を思い浮かべますか?何か共有したい経験があればお聞かせください。
特別なことではなく、日常的なことだと感じます。